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12/06 : 小学4年生の研究発表会から(1)



えっ!? 一冊が ⇒ 100冊?

一冊の「コンサイス英和辞典」を点訳すると、
全部で100冊になります。


近所の小学校の学年ごとの発表会から。
子どもの学びの現場は、大人にとってもそうであると、
身を運んでみてあらためて体感し、気づくことがあります。

視覚障害者が、情報をとり入れるために身につけなければいけないこと。
もののかたちや音声などは別にして、「これはどんなことを意味しているのか?」
自らで学ぶ場合、情報を言葉の文脈でとらえなければ理解しにくいですね。
辞書だけではなく、なにかを理解するという全体的なとらえ方の話として。

企画書のチャートのように、関係やプロモーションのしくみ・しかけを
図式やフローで展開(言葉が添えられるに)しても、前提や基礎情報が
わかっていなければむずかしいのではないかと思います。

情報を点字で一旦、自分の中にとりこんで、咀嚼する。
咀嚼するにも、そのものの意味がなにを指すのかわからない。
となれば、また単語一つひとつを点字で追って理解することにもなる。

点字は、指先の感覚を使うわけですが、もし、そこに障害をもっていたとしたら、
自らで情報を取り入れていくこと自体の大きな壁となってしまうのではないか。

現実に向き合う人の、向き合わなければいけないこと。
人のたくましさと同時に、技術や知の進化がまだまだ目を向け、
活かされるべき道や術もあるのではないのだろうか。
そんなことを思いました。

それと、自分の内側で情報をこなす、ということは、
イマジネーションもたいせつなのでしょう。
心でみる力、表現する力は必要でもあるし、養われもしていくのでしょう。



子どもたちのレクチャーを受けながら、点字打ちをしてみました。
名前を打つだけでも、当たり前ですがすんなりとはいきません。
ルールや法則を覚え、打ち、読む。
すべてに、身体と頭をつかい、想像力を働かせることが伴います。

アイマスクをして、子どもたちに誘導されて歩いてみました。
廊下を歩くだけですが、急に感覚的に自己判断できる
外情報を失ったときの不安を感じます。

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