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11/15 : 正否をこえるもの。

「ドグマ(dogma)をもつこと。
ドグマをもつことは、その正否を問うより、はるかに大きい」。


もう20年も前に聞いた、ある場でのある人の言葉。
何度かどこかでふれてきたのですが、
昨日のような話になると、必ず思い出す言葉でもあります。

ドグマは、goo辞書によれば
(1)宗教上の教義・教理。
(2)(否定的に)独断的な説。教条。 となるが、

あのときの意味は、自分なりの「価値基準」。

すべてに正否が関係ないとか、ゴリ押しを通せということではなく。
じゃあ、なんだと言われたら、
やはり「ドグマ(dogma)をもつ」と、言うしかない。
「これは、これだよ」というより、生きていくための芯。
後で考えてみたら、あれはこういうことだったんじゃないか?
も含めて、人や物事との関わりを問うてみることの糧。

一つだけ経験的に言えるのは、なにかに対して定まった、
軸のブレない考え方や見方をもてるときは、
相手の存在に対して、自分がどうだとか、相手がどうだとか
の気持ちが起きない。
相手からの否定があったとしても、それ自体には揺らぐことはない。
声を受け入れるか否かは、別の話。

年齢を重ねるほどに、自分なりのドグマをもつことが大切ではないか。
迷わない、迷いを少なくするためにも。
柔軟な視点での選択肢は多いにこしたことはないのでしょうが、
選択肢を増やすこと自体が目的になってはいけない。
そう感じています。

そして、考えや見方は、考えつづけ、見つづけることでしか
生まれ、育まれないのだろうとも。

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