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06/04 : 光さす方をみるために。

向き合って話す、話せる人や機会がある、ということ。

いや、つくることかもしれません。
ないのなら、話してみたい誰かに、まず自分を開いて、向き合って、話しかけてみる。
腹の眼、腹の耳。
で、素直に、自分を開いて、話しかけてみる。
それは、相手にも、自分との距離感を一度、
ちゃんと確かめてみる機会にもなる、かもしれません。
素っ気なくされても、それは相手をどうこう思うこともなく。
開いて、接してみたわけだから、ありがとうでいいのです。

それで、話をしたり、聴いたりできる人ならば、
たとえ、物事のやり方や考え方に違いはあっても、単なる「異論」にはなりません。
むしろ、相手の言っている方法の方が、もしかしたらいいのかもしれないけれど、
自分としては、たとえ間違っていても、この方向でやることが、一番しっくりくる。
それをやらないで後悔することだけはない。
そのピカっとなことを、立ち位置を、再発見したり、確かめることにもなります。

相手が、相手の想いと言葉で、俺ならこうすると向き合ってくれるから、
自分の、あらたな想いと言葉に出会うことができる。
そういうこともあります。

順風満帆の好循環ばっかし、なんて人は、あまりいないと思いますが、
暗闇、それとも、自分の北極星を見ようとするのか。
ノーテンキだとしても、「人の中」で、喜怒哀楽を積み重ね、
それをどう感じ、考え、生きているかの長年の個人の習性のようなものも
あるのでしょう。

そう思うと、意識的に在ることの必要を感じます。

今日の午後は、久しぶりに公私を開いて、自分と会いたいと言ってくれた人(♂)と、
明日は早朝から、久方ぶりのハタケ仕事(苗付けのお手伝い)です。

どちらも、自分を開けっぴろげにできる時間です。

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