新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/-- : スポンサーサイト
新しい記事を書く事で広告が消せます。
03/10 : ドゥー、ビー、ブラザーズ…ん?
破られたのは、部下の若手C(コピーライター)。
もう20年以上…も前のことでしょうか。
出入りしていた大手広告代理店で目にした光景です。
破る側は、平然淡々と理由を説明しながら、破る。
破られる側は、淡々を装うものの、みるみる形相が変わる。
周囲は、よくではないけれど、業務に付物の過程と、
それなりに張り詰めた空気を感じながらも、やりすごす。
そりゃ、Doing(行為)を超えた、Being(存在)の否定として、
破られた方が受けとるのは、自然のこと。
これに近いことは、それぞれの仕事場で経験あっただろうし、
当事者でやられた時にゃぁ、上司×部下とか、教えられているとか、
そんなことより、正直、ムカっ腹が先立つし、
瞬時に「いい勉強をさせてもらってます」なんて、
スンバらしい人間性も出ないし、
そもそも、なにかをこさえる人の特性からもムズかしい。
で、どっちが正しい、間違ってる、やり方が悪いとか、ということじゃなくて、
仕事場で「真っ当なシゴト」を挟んで、DoだのBeだの混在で、
上下、横横でやりあっていた時代があって、それは今だってあって、
でもどちらかというと、20年、30年前の一時代前の方が、
そんな正攻法で、堂々とした関係性が成り立っていたことが
多かったような気がしています。
言う側だって、言う自信と根拠…知識・経験の裏づけがないと言えないわけだし。
言われてイヤなら、どうだと認めさせるか、自分が相手を抜いて上に立つか、
違う部署や会社に移るか、なんでもやり様はあるわけだし。
小さなシゴト一つ、どっちかだけの正否、その答えだけ、ということじゃなく、
どっちが決定権をもってるか、ということになるのだと思います。
このドウとビーのごちゃっとしたようなこと、なるべく若いうちから
いい感じで慣れ親しんでおくと、社会での抵抗力や体力、落ち込みからの
立ち直り力とかを養えるんじゃないかなぁ。
そして、自分が使い方、発し方に感度が高くなる、ということが、
あるんじゃないかと思っています。
人×人で、影の部分が多い時代は、ことに。
それでは、永遠の名曲を。
「What a Fool Believes」(ある愚か者の場合)
ドゥービー・ブラザーズ