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02/15 : 御印に在らず。

「障害」

自らの文面に用いるとき、「障がい」でも、「障碍」でもなく、
意識的に「障害」と記しています。
社会の生み出す害、つまりは、「社会意識」の中で遺憾ながら育まれてしまうもの。
その感が強いと思うからです。
マスメディアでも幾度となく取り上げられたことですが、表層的な表現の是非など、
ほんとうはどちらでもいいことですが、行政などは「障がい」を好んで使います。
特有の「配慮」なのでしょうね。

ある車椅子生活をする女性落語家が、福祉先進国に出かける際、
さぞかし施設やハードウエア面で、バリアフリーが進んでいるのだろう。
そう思って出かけたら、日本の方がずっと進んでいたそうです。

で、地元の人に訊ねてみたら、
「階段でも、坂道でも、困っていたら、みんなが手を貸しているのが
日常光景だし、そんなに要らないんじゃないかな」と。

そんな方向で、この国も、地域社会もなればいいなぁと、
思っていますが、活動仲間に宛てたメールの一文に、
こんなことも書きました。
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「障健混在」もまた、両者の視点・理解あってこそ。「障害」を「錦の御旗」に
してはいけないということです。「自分事」に、いい意味で社会を巻き込んでいくために
動いている。自分事は、すべての人にあり、中には「自分には関係ないよ」の
健常者・社会の声も受け入れるところから、垣根を除いていける心が育まれるのでしょう。
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仕事でも、それぞれの分野、会社で、仕事を活気づかせたり、
つながりをつくるために、声を発したり、動いたりしているでしょう?
その際、それぞれの分野で「錦の御旗」となり得る表現、思考はあるのかもしれない。
誰にも差しさわりがないのなら、言ったモン勝ちでも、ま、いいんですが、
そこを軽くおさえながら自他をみることでも、人や企業、活動の在り方がみえてきたりする。

わかってくれる人もいれば、そうでない人も、無関心な人も、いろいろいます。
それが当たり前だし、「この立場・環境・業界の悩み、痛み」に、
全員がわかったと、右ないし左向けで、右ないし左向けしたら、
逆に健全とは言えないですよね?

出逢い、つながりの喜びは、そこを越えて向き合った者同士、時間に
あるものなのでしょう。もちろん、多いに越したことないし、多くの人はそこをめざす。
この辺は、環境や育ち方によっても、考えや感じ方の違いがあるのでしょう。

「障害」の視点で物事をみると、公私生活のいろんな本質にふれる思いがします。
じゃぁ、「本質」ってなにさ?
なんて言い出すと際限がありませんね。
使い方次第で、「錦の御旗」になってしまう言葉もあると思います。

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