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02/11 : LIFE20



先日、子どものよき応援者であった義母が逝った。
享年七十七歳。大病などしたことがなかったが、患部の場所が良くなく発覚から7ヶ月。
苦労人で働き者。笑顔を絶やさず、人の悪口を言わず、
口々に周囲の人がその人柄を語ってくれました。

亡くなる前日、帰り際に手を握って向き合った目に映ったか弱い笑顔と、
滲んだ涙を忘れることができない。
ここ一ヵ月は週末、がんセンターまで往復190kmの距離を行き来しました。
生命の灯が細る中で日ごとに弱り、最後は指でつくるOKマークとひと言が一日の精一杯。

命の期限に向き合う人に、意識的に向き合おうと過ごした時間。
その中で胸をついた想いもあります。
大病の時間の経過の中で、人はやつれも、様変わりもするが、そこから伝わってくるのは、
みじめさやあわれなど表層的な感覚、言葉じゃない。
上手く言えないが、向き合うべき時に、当事者として向き合ってよかったと、
相方に伝えました。

子どもや家族をただ黙って見守ってくれた応援者のありがたみを感じています。
約19年前に、娘の命が絶えた時の悲しみは忘れはしないが、
違う想いでの喪失感が包む。
もう少しなんでもない同じ時間の中に、一緒に居たかったですね。


無事、生かされた…として、あと20年…だろうか。
その後は付録。

ここ四半世紀、「家族の生命」に向き合わざるをえないことが、
たぶん人よりはけっこう多いだろう人生だったし、
昨年からも、私的に考えるべきことが重なっているけれど、
明日ですら、生きて在る保障はないけれど、
「なんでやってみなかったのだろう」という後悔を、
極力、もたないような歩み方をしていくことが、
残された者の引き継ぐべきことなのかもしれません。

1日/20年

まいにち、たいせつ。まいにち、ていねい。

むずかしいけれど、じぶんなりに。

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