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04/30 : 静。

ツマる、とか、ツマらない、とか、はもう。
アメックス銀行本牧基地支店という仕事場で、長の役職を最後にリタイアした父。
もうどのくらい前? 20年程経ったのだろうか。
まだぼくが小中学生の頃は、個人的に野球にスキー、スケートなどをやり、
気が向くと、田舎の川に釣りにも連れて行ってくれました。

そんな思い出もあるのですが、全体的には無口で、手先が器用。
会話や家族を盛り上げたり、行動計画するのは苦手。もしくはあまり関心が及ばず。
自分の経歴や仕事を語ることはなし。
母親を通して、樺太育ちで銀行員の前は見習いコックだった、と聞いたくらい。

何年か前にある場所で偶然に目にした父の文で、戦時中は特攻兵の生き残りで、
明日いよいよかという時に熊本で終戦を迎え、
ほんとうに食べるもの、着るものが無く、大変だったということを知ったのでした。

こちらが高校生、20代~30代という若い年齢をかけ上がる頃、
面白みがない人、という眼で観ていたように思う。否。観ていた。
疎ましいほどでなかったが、一個の人間・親として関心が湧いてこなかった。

いま、自分が年齢を重ねて思うのは、
つまらないとか、面白みがない、会話が上手い・下手だったとか、
家族を楽しませてくれたとか、そんなことはどうでもよく。
どうであろうが、真面目に育ててくれたことに変わりがなく、
それだけで十分なのだということ。

家族に限りはしませんが、「つまらない」と誰かを指していう時、
それは相手が「自分の思う、想定するように振舞わない、応えない。
会話を弾ませたり、経験や身につけた面白球を駆使して、
こちらの日常を楽しませてくれたり、刺激を与えてくれない」
との裏返しもあるのではないでしょうか。

「変化」「クリエイティブ」は、相手に求めるもの。
そんな親への目線があったのかもしれません。

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★本日の一曲♪
「フェンスの向こうのアメリカ」(柳ジョージ)


米空軍と航空自衛隊が共存するエアフォースの町でした。
その町から、横浜に初めて来た時に感じたのは、
「あれっ? 外人が歩いていない。なんで少ない?」

人口4万人+基地従事者1万人(基地内居住者含む)の田舎町から
来た時「横濱」は、そのドデカ版都会イメージが出来上がっていた。
家の隣も、ホワイトハウス(白壁の外人居住者用ハウスの総称)
だったし、こずかい稼ぎは「カットグラス?」と言いながら
ハウスの芝を鎌で刈らしてもらっていたし、ハロウインを
「カボチャ祭り」と呼び、ハウスを周り、ジャイアンツの
黄色い帽子にキャンディやチョコをもらい集めて喜んでいた少年時代。

航空祭の日には、市(基地内外がン10万人の人で溢れる。
けんかもすれば、遊びもしたガイジンの子どもたち。
イエローバスや基地のゲート、すれ違いざま手を振って挨拶を交わす。
クリスマスの日に振舞われる、基地のママたちお手製の
チョコレートケーキのうまさったらなかった。

ひっきりなしに飛ぶジェット戦闘機の爆音。
市の何割だろう、占める広大な基地裏の寂れた鉄門(その気になれば
入れる、が)には「許可無く侵入した者は、射殺する場合もある」
とのメッセージが。毎度、暗い気分になっては友人たちと
自転車で退散した。

家族の糧は父の「ペイデー」で、「給料日」ではなかった。
(誰もがそう呼ぶのもだと、田舎暮らしでは思っていた)
PX・広い深いスイミングプール・緑豊かなベースボールフィールド
・ゴルフ場・基地内を横切る滑走路。

田舎の友人やぼくには、アメリカはフェンスの向こう、よりは
もっと密な存在だったが、田舎町ゆえの内外の風景ギャップは
憧れと慣れと生活を支える「異国」でした。

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