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02/22 : 「木と森」論に、地べたから見えるもの。

「部分最適」と検索してみると。
「部分最適」と「全体最適」について、これだけの数の言及がある。
関心深いテーマなのだろうし、語り(たがり)やすいのでしょうね。

個人的には、「部分最適」と「全体最適」のようなことについて、論ずる力もないし、
それをしてもしかたがない。
物事の肝をつかむのに、マイ・キーワードをもつことは大切だとは思うけど、
大上段?なことには、世間の批評家や自分自身の評論家にはならんでおこうということ。
それをオマエが語る必要があるのかと、自問自答するわけです。

キーワードではないけど、「国外や国内でテロや大規模な災害があったときに、
援助活動に行かず、美味しい蕎麦打ちに精進している職人の行為は、自分勝手なのか?」
などということはよくよく考えます。
気をつけていないと、「部分最適」のようなことをわかったふりして語ることになるからです。
「クロスメディア」とか「ブランディング」とかね。
このままじゃ、全然響かないのです。自分に。

この店の蕎麦を食べた人が現地でボランティア活動したり、社会的な記事を
書いているかもしれないし、
電話や口座送金などで募金しいるかもしれない。あれこれ言わずに。
そんなことしなくたって、自分でできるなりの他者へのささやかな幸福を提供しているわけだし、
身勝手なのとは違う。

自分に寄せて考えないと、考えたり、感じたりしていることにはならないのでは
と思うことってありますね。

ある記事でたまたま目に入った「部分最適」にちょいと反応したのですが、
「自分や家族のために稼ぐ、儲ける」「社員の幸せを露骨に追求する会社(伊那食品)」などの
言葉の方が届いてくることが多かったりします。

社会には相手がいて、約束事があって成り立つわけで、
「そのためには」は必ず前提で言ってる場合がほとんどであるわけだから。

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