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08/17 : 届かないこと。

政治を生業とする人たち、マスメディアで声を発する人たちの「国民」。
「国民は」ではなく、なぜ、「私は」「ぼくは」を主語に言葉を発しないのだろう。
国民は欲しているとか、いないとかの乱発される「国民」に、
こちらもいつのまにか入っているのですね。


「実の家族(親子)」という言葉。
いや、「血縁」という意味で間違ってないでしょうが、
「家族」って元々在るものでなくて、
お互いに時間をかけてつくっていくものじゃないのかな。
そこに「実」も「嘘」もなく。

夫婦は、他人同士が一緒になるものですが、夫婦は夫婦。
家族、親子も同じじゃないのかな。
あくまでも自分たちがどう思うか。
血のつながりの有無だけで、家族、親子の関係はつくれないし、
「幸福感」を得られるものではないです。

もともと「幸福」はどこにもないもので、
それはお互いが、それぞれが、交わり育む中で「感じる」ものであるはず。
実とかそうじゃないとか、そんな前提はどうでもいいと思うのです。
(まぁ、メディアを含めたあかの他人は、そう呼ぶしかないでしょうが)


「業界」って、いったいどこを指しているのだろう?
いろんな仕事に「ギョーカイ」は在るようだけど、
確かに「業界」を使いたがる人はいるけど、
どこかに境界線や壁、おれらの持ち分が設定されていたりするのでしょうか。

一人称を意図して用いない「業界」に、政治をスル人たちや官僚の口にする
「国民」に似たあやしい感覚を覚えます。
「私は」「○○○(企業名)は」こう考え、こうした。
その結果、同業者や各方面に反響、影響力をもたらした。つながりが生まれた。
が、仕事の動脈でいいのでは。


これは「届かない」ことじゃないのだけど、CMや雑誌でよく見る
安室奈美恵さんの表情…憂いを含んだ? 挑発的な? 無機質な?
なんと言ったらいいかわかりませんが、あれ、個人的には表情の裏側にいる
つくり手たちの意図的なものを感じすぎてしまうのです。

いま再び、若い世代の支持や注目を集めるアムラーさん。
一時メディアから消えていた時に、雑誌で読んだ音楽への姿勢も、
ちゃんと下地になっていたと思ってるし、あなたが出てくると
なんとなく気になってしまいます。
オジサンは、メディアでのあなたのあまりつくりこまない表情を見てみたいのです。
もっとイケテルと思うのですがねぇ。


思いつくまま、個人の屁理屈に過ぎないのだけど、
自分にとっての届かない、響かないも、ものをみるモノサシ、
その時の距離感を確認するのにいいかもです。

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