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03/21 : すべて時代のせいにして。自分の感受性くらい。

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物事に多面あり。

株や金融商品でどかんと稼いで、「額に汗せず、楽して儲けた」と皮肉られた人は、
影で社会的ハンデをもつ人たちを支援していた。
暗い、重いニュースばかりと嘆かれるマスメディアは、
下請けを切られた企業が自力で立ち上げた新事業、製造直販にエールをおくる。
人を物扱いしていると批判を浴びた派遣会社は、
様々な分野に新しい人の流れ(動き)をつくったことは間違いない。

人や組織、物事の10あるうち、見えている(ように感じる)のは1か2。
後は、個人の関心と関係の中で、どれだけ見ようとしたかで
眼に、耳にするものも違ってくるのだと思っています。

で、
公私の物事が、上手く運ばない…としたら、それは他人のせい? 時代や社会のせい?

(「すべて時代のせいにして」泉谷しげる

仕事や人付き合い、企画提案、雑多な某まで。
問題解決や課題抽出のキーは、外部要因(環境)ではなく、内部要因にあり。

あえて言及するまでもなく、千回満開、あちこちで言われ続けていることでして。
ある著書の「他責NG」や、人と人とのコミュニケーションにおける、
「どう伝えたかではなく、どう相手に伝わったかが肝心」も同様で。

誰かやなにかのせいにしない。
心ある人の、とっくの10(とう)の10善の心得として挙がる言葉。
だけど、それでも世の中の言動を眺めていて、おや?と感じることも。

仕事はあくまでも(大きな位置を占める)手段の一つ。
目的は、幸福感を得るために生きること。
株や金融商品も手段で、でも残念ながらその才能がないからやらないだけ。
法で認められている範囲での稼ぐ能力に文句はないし、
領域を越えて通じる普遍の法則などあれば学んだ方がトク。

新聞やテレビは信頼できるか?
できなければ、速やかに紙面や画面を閉じればいいだけ。
選択権はこちらにあるし、
そもそも信頼するとかしないとか「頼」るというより、
知ったり、感じたり、驚いたりするための道具でいいのでは?

対談記事で、ある人が言っていたことに、
人は、自分の得意なことと他人の不得意なこと比べて
不公平だと文句を言いたがる、とありました。

自説で、人間は子孫を残すために、
「自分は、他の個より、この部分が優れています」
というプレゼンをする必要があり、それが上手なDNAが
いま生き残ってるのでは、と。

なるほどなと。当てはめて考えると確かに。
批評、批判は、対象のある一面にフォーカスして言うことで
自らの声に力を得るし、全面など知り得るわけはないので、
意識的・無意識にそうすることになるのでしょう。
これは自分もやってしまうことでもあるのでしょう。

こんなことを書いているうちに10年前の本の中の言葉を思い出しました。
「倒産とかリストラなんてフリーには屁でもない。単に仕事が途切れた状態に
過ぎない。次の仕事に出合うまではどうにか食いつなぐしかないのだ。
フリーならたんたんとそんなことはこなしている」
(「僕ならこう『生き直す』」弘兼憲史 1998年)

これは、都内で30年近く小さな会社を営んでいる親戚が言った言葉。
「バブルが弾けた頃、みんな大騒ぎしていたけど、なに言ってんだよ。
俺ら弱小企業は、起業時から弾けていたさ。時代がどうだの関係ねえべさ」

時代や社会、何者かの是非を問う以前に、
実は「自分のせい」と思考する在り方を身につけた方が、
少なくとも精神上、生きやすいのではと思っています。

真っ当な企業も、詐欺するわけにあるわけじゃないから、
社会公益性は当たり前。これは前提で、やっぱり
「こんな仕事で稼ぎたい」から、社会とのつながりをつくったわけでしょ?
なら、どんな環境だろうと「自分のせい」と言ってもらいたいものです。
まずはしっかり儲けて、税金を納めてこそ、社会に存在の意義あり。
と思ってます。
企業が、社会公益性・還元性を、ことさら前面に謳い始めたら、その時
その企業の感受性は・・・
もちろん、すべてじゃないのですが。


茨木のり子さんの有名すぎるあの詩の中の、

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

ですね。
なに、書いてんでせうかね。

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