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01/23 : 変化球に首を振れ。


「どうか自分を助けて欲しい」

横浜駅構内で耳に届いた声は、この20年間の中で
いちばん胸に響いた声でした。
車椅子の青年が発した声。すぐに周りの人が反応していました。
(参考:前記事)
公的な場所で発せられた言葉自体もさることながら、
声から、一切の拡声器の要素や音色をとっぱらった、
本心からの全体重をかけた生身の言葉だったから、
人を動かす力ある声として届いてきたのでしょう。

なにかにつけてよみがえる光景なのですが、
先日もこんな話をある所で読んで思い出したのです。
ある人が二人の若い写真家の公開座談会に聴衆として
参加していたときの感想を書いていました。

二人の「今度の写真集を買ってほしい」と、まるで時代劇の青年のように、
真正面から訴えている姿に、ポーズじゃない真剣さ、というのはすごい。
そう感じたというのです。
自分のテーマを胸に、それこそ泥まみれで撮ってきた写真が、
芯から手応えのある写真集に仕上がった。
それを、本が売れないと言われるこの時代に、
あきらめないで「買ってください」と言う著者たちに感じるものがあったと。

一人の人間が、ポーズを廃して真剣になにかを訴えかける。
今の時代、たとえばネットの功罪で言えば、
大きく見せたい、かしこく見せたい、声の変化球が多用され過ぎて、
無感覚・無意識になり、功罪の罪の部分じゃないか、と思っています。

直球は投げ込んでいなければ、球の伸びは出てこないだろうし、
変化球ばかりに頼ろうとするようになる。
変化球のみでは、いずれ相手バッターも慣れ、読まれもする。
生きた直球があるから、変化球も生きる。

マスターズリーグの村田兆治投手が以前、テレビで中学生くらいの子を相手に
本気でストレートを投げていたのを観たことがあります。
「プロって、やっぱりすごいもんだ」
そう思ってもらいたいからこその本気の投球をする。
そんなことを言っていたし、投球や姿勢から気迫が伝わると思う。
本人もその気で投げ込みしていないと、いまだあんな球は投げられないでしょうね。

変化球が大好きな人にはかっこ悪いかもしれない。
でも、そのかっこ悪さこそかっこいい、
大人の「イイ加減」なんか知らない、ムキなくらいの直な声。
いまの時代にこそ必要なことかも。

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