--/-- : スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

10/06 : 幸福の総和。


「花が咲こうと咲くまいと生きていることが花なんだ」 (アントニオ猪木)

昨夜、新聞の書籍広告で出合った言葉ですが、
この人に投げかけてもらえるのなら、少しは救われたような想いがする。
存在に、キャパシティを感じるのかな。

こんな言葉や声は、人によっては観念的に届くのだろう。
それでいいと思う。置かれている人生環境が、それぞれで違うのだから。
ただ案外、今のところ「幸福」な人生を送っている人たちに、
観念的に届くのではないのかな。そんな気がするのです。

たとえば、自分や家族など大切な者が五体満足、知能や精神などに障害もなく、
凡庸な毎日を、凡庸に感じて送れているのだとして、
それがラッキー、ハッピーかということに気づいていないのだとしたら。
いや、そういうことを意識したり、感じないで生きていかれるって、
実はやっぱり、とてもラッキー、ハッピーなことだと思いますよ。

世の中は、勝った負けた、成功だ失敗だ、借金だ巨万の富だ、
思考だ行動だ、戦略だ、仕事がどうだこうだ、
さりげに出来る素振りや出来ない批判、
くっついた離れた、やれ人がどうした、さりげなく私はすごい・・・でいっぱい。
言葉や態度に口ヒゲ生やして社会を語ることが多い。
もちろん、この中に我が身も鏡と共に放りこんで映して眺めましょう。

ただ、勝った負けたという前に、
毎日をなんとか引き分けたい。引き分けられるのならば。
自分の努力・責任という前に、自分たちだけではどうにもならない。
他人や社会の力を借りながらでも、まずはスタートラインをめざしたい。
様々なハンデを体内外にかかえながら日々を送る人たちもいる。

身内共々に、勝ち負けや成功・失敗についての
「幸福の総和」を、別の立場・視点で感じている者もいる。
そういうことは、ある程度歳を重ねてきたら気づいてもいいかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人世の移りゆきを「明暗」という文字でしめくくるなら、
現実は常に「明暗」のるつぼである。
地球の半面が昼であるなら、他の半面は夜であるように、
「明」の総和と「暗」の総和とはいつもつり合っている。
「明」をみて「暗」を知らない者は、間抜けである。
「暗」の中から「明」をくみ上げない者は、実はなんにもみていないのである。

(詞集たいまつⅠ むのたけじ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

>「明」の総和と「暗」の総和とはいつもつり合っている。
とは、思いにくいけど、
世の中に、間抜けが多いのかはわからないけれど、
「生きていることに感謝を」
そう他人に言える立場ではないけれど、いまとつとつ(長々)と語ってきたことを
自分事として感じる立場にはいる。自慢できることではないけれど。

小さな明を素直に喜び、引き締め、暗に明の光を見失わない。
たとえ1mmの気持ちの歩みでもいいじゃないか。
そう言い聞かせることも必要。

生きることへのありがとうの気持ちを、「感受性」や「感情」として鈍らせずに、
やっぱりもっていたいと思うのです。

Comment

Comment post





 管理者にだけ表示