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06/17 : 気をもち、基に帰る。


射場への入場の際に一礼し、本座に5人揃ったところで、再礼し、射位に進む。

高校卒業後、弓道が思い出となって、もう何十年も経っているのに、
いまだに入場から射法八節までを、ほぼからだが覚えています。
※参考動画1.2
数年前のある日、ふと気がゆくままに家の中でやってみたのですが、
泳ぎや自転車の乗り方を身につけた、その感覚と類するところがあるのでせうか。
外では道を歩きながら、シャドウで弓を引いてみる。
凝り固まったからだや脳をほぐすのにはちょうどいい。

高校2年の終わり頃だったろうか。
弓道部顧問の竹内先生(当時、錬士五段)から、上達過程で「会」から
稀に矢が離れなくなってしまうことがある。という話を聞きました。
今思えば、物の見事に暗示にかかったのでしょう。
ある日、ほんとうにその稀になってしまった。
「会」で言葉にならない言葉や惑い、不安感や恐怖心が脳裏を舞う。
どうしても矢を放てない。

どうにもならないので、入部時に半年間引いたゴム弓(棒に太いゴムがついただけのもの)を
引くことにした。登校前の1時間、道場で巻き藁に向かい、ゴム弓を引く。
2週間ほど繰り返しただろうか。

朝の気持ちに、一条の光、射す。
なんだか妙に気持ちが割り切れた。
ゴム弓で、ただ黙々と射法八節を繰り返す中で、理由はわからないが、
「いける!」の勇気が湧いてきた。
放課後の部活で、巻き藁と的に向かい、久しぶりに弓を引き、矢を放つ。

と、周囲から「おっ」と、小さな声。背中を押してくれる仲間の声。
この一件で変わったのが「離れ」の切れ。
離すのではなく、離れる。
弓手(ゆんで)で押し、引き手で引き、ピンと張り詰めた糸が限界でふっと切れるように。
高3の春の昇段試験で弐段を取得できたのも、
流れ的にたまたまじゃなかったのかもしれない。
今ではそういう気がしています。
(ちなみに筆記試験の問題は「弓道と自然観について」だったと思う。
高校生の自分がいったい何を書いたのだろう)

迷ったら、できるだけシンプルに。愚直なまでに基本に。
多感な時期に続けたものは、見えない糸でいまにつながっている。
そう思いたい。

ずっと思い出になっている弓道を、また一からやってみたい。
そう思いながら何年かが過ぎ、なぜやらないかの理由も、
なんとなく自分でわかっているのだと思う。
また道場と距離を近くする日は訪れるのだろうか。

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