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02/13 : 人の間。時の間。


地域の小学校の生徒から、家族や周囲の年輩者へ。戦争体験の聞き取り調査。

●太平洋戦争の頃、何歳でしたか。どこにいましたか。

19歳でした。九州・熊本の陸軍航空基地にて飛行機に乗っていました。
終戦がもう一ヵ月、後であったならば、沖縄の空で戦死したと思います。
隊の人が次々と飛び立ち、帰ってきませんでした。

●その頃の生活はどうでしたか。食べ物、着ている物、遊び、学校の勉強など。

食料は配給で、毎日空腹でした。毎日、同じ服を着て、朝から晩まで働き、
遊ぶ時間はありませんでした。勉強しようと思ったときは、終戦から4年目で
大学に入学した時は23歳でした。

近くに爆弾が落ちたり、防空壕に逃げ込んだことはありますか。
 戦争に行った人を知っていますか。学童疎開したことはありますか。

水戸の大洗海岸、陸軍航空基地兵舎でグラマン機の攻撃を受けました。
この基地にいる時に、東京が大空襲を受けました。

●戦争についてどう思いますか。
 これからの日本はどうなってほしいですか。

普通の人が普通に、その持てる能力に従って働いた時、普通の生活ができる
社会になって欲しい。競争で勝った者のみが認められる社会は、否である。
職業に貴賎なく、一生懸命働いた人が報われる日本と云う国でありたい。


答えたのは、父だった。
だった、というのは、この聞き取り調査票を、後で違うかたちで知ったからです。
このようなことに答えていたことも知りませんでした。

特攻隊の生き残り・・・ほんとうかどうかは知らないが、親戚からそう聞いたような気がします。
父から、父の過去のことをほとんど聞いたことがありません。
元々、あまりしゃべる方ではないが、それを差し引いても若いある時期、
父がどんなことを経験し、思って生きてきたのか。
親ならば、自ら語ってもいいのでは? と物足りなさを感じる時期がありました。

時は流れ、ある時からそんなことはどうでもいい。
話したくないのか、遠い記憶として関心が薄いのかはわからないけれど、
今でつながって、お互いにやっていければ、それでいい。
そう自然体で思うようになっていました。こちらも歳を重ねたということなのでしょうか。

だから、ちょっとだけ不意打ちを食らったような感じで。
父もまさか、こんなところに載せられているなんて考えてもいないでしょう。
この話自体への思いは述べませんが、
訊かれたからとはいえ、親は親の時間で、時代や日本に感じることをもっている。
なにをか、トントンと心のドアをノックされたような気持ちになりました。

そっと胸の奥にしまいこむのもいいのですが、あえて人目にさらして、
自分や周りのことを想ってみたいと。
なにか育まれるものがあるのかも、ないのかもしれせん。

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