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01/28 : 向かう場所。

「地道」

主人公が部屋の壁に生活信条を貼り、自らに言い聞かせるように暮らす。
そんな古(いにしえ)のドラマもありました。

愚直であること。鈍直に進むこと。
正直、勤勉、一途などなど。

他者への教示として発してしまえば、安直で陳腐さを伴う言葉も、
己を省みて、胸に去来する想いと対峙するとき、
それは自分のもの差しの一辺を担う言葉となるのだろう。
世は、「偽」の大盤振る舞いらしいが、その反動ばかりではない、
いつ頃からか、一条の光や一陣の風として何をかを訴えかけてくる。

かと言って、ひたすらに行者の道を辿れということでもなく。
なにをもって愚直、鈍直、勤勉などとするのか。
楽しみモンであるか、ということに向かってということではないのかな。

アゲインストの風が吹こうが、自らの行い不足に起因しようとも、
それでも某かの物事に向かう中で、「我が意を得たり」「ユーレイカ!」という瞬間はある。
少なくともそれをもつための手法や時間の積み重ねが、内に多少なりと宿る。
自分だけのフィールドで感じとれる、ささやかなものだとしても、
これを「幸福」と気づくことない自分がいたとしたら、それは不幸なことなのかもしれない。

愚直や鈍直を正面きって、相手の懐に押し出す。そんなおこがましいことはできないが、
誰もが拡大スピーカーの一面をもつ時代、静かに相手を量る。
自戒とともに、慎ましく懐に忍ばせておいてみてもいい。

出会う、すれ違う、すべての人と、物事と関わっていけるわけではなく。
愚直や鈍直や地道を求めはしないし、言える立場でもなし。
けれど、それを笑う者には、笑う者特有のにおいがある。
おそらくは生きるベクトルが違う。そう思う。
選ぶために、選ばない。
ということから必要な言葉もある。


夢を失うより 悲しいことは
自分を信じてあげられないこと
(Jupiter/平原綾香)

昨冬からずっと胸を行き来する言葉も、どこかでつながっているのだろうか。

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