--/-- : スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

10/21 : 後方で、広報。



「讃える広報」とでも言ったらよいのか。

「ありがとう、ミハエル」
F1・BMWザウバーチームが、ライバルチームの個人にメッセージ。

今週末のブラジル最終戦で、自らの現役ドライバー生活に幕引きする人間への
リヤウイングからの贈る言葉。
ゼロコンマ何秒を競う、熱いレーストラックに瞬間、心地よい風が
吹いたのではないだろうか。


F1は、国際マーケティングの場としての側面も色濃い。
こういう言い方を、ただ「イヤラシ」と思わず、まず気持ちがあって、
企業・組織活動の視線としてみたとき、他者にはどう映るのだろうと
考えてもらえるといいと思う。
企業として、人を心地よい気持ちにする、関係をつくることは大切だ。


F1も幾多のプロスポーツと同様、人の個と個とがぶつかりあうスポーツ。
思考・視点・立場での各人各様の相手への言動は、ときに激しいものがある。
思考・行動の異なる人と人が、この世で関わり続ける限り、
人それぞれの正義と不正義あり。
大きくは国と国になるのだろうが、スポーツもどちらが一概に
いいの悪いの言えないこともある。


争い事や競い事に生きる人間社会には、あっちにもこっちにも、
人や会社や国の批評や批判がてんこ盛り。
ある場でのDo-ingも、人間の存在そのもののBe-ingも、
雑多混在に容易に人を評する。


一方で、その人のもつ良さに眼を向け、讃えるべきときに讃える。
それが出来るかどうかも、個人や企業の資質といえるだろう。
他者におくる眼、とでもいうのだろうか。


周囲が思わずニコリ、ニヤリ、ふむうむくらいのさりげなさをもって。
戦いの場に、見たものが「なんだか大人だなぁ」などと感じる程度の
おさえが効いていていいですねぇ。


ルーベンス・バリチェロのシューマッハ評も、フェラーリチームで同僚として
時を過ごしたチームメイトならではの大人の目線を感じる。
みるとこはみて、その上での声だと感じます。
つまりは、お互いがそのレベルで対峙しているということだろう。


>「彼は愚かな過ちも犯したけど、それでもF1にとっては必要な存在だ」
>またバリチェロは、フェラーリを自分中心のチームに作り上げた
>シューマッハの手腕にも言及している。
>「彼と同じマシンに乗り、同じスタッフと仕事していたにもかかわらず、
時として僕には、シューマッハに相対する時の目の輝きが、
彼らから感じられなかったんだ」



公的な場で、人の視線を感じつつ、人を讃える。
これを広報として考える、というと一見いやらしく感じるかもしれない。
もちろん、販促広報としてのベタな効果をねらうのではなく、
人が人のしたことを評価したり、感謝の意を表す。そうすべき、していい時機に、
他者との関わりのなかで、自らの志向・思考を伝えることとして
声にしていいことだと思う。


企業(法“人”)も、個人も、人の中で人の評価を受け、存在している。
「買う」には、「あの人を買っている」という意味も含まれているが、
物や技術・サービスの成熟化などといわれる時代、
「企業人格」「企業市民」「企業品質」として、自社のものを届ける。
そのための他者の眼を前提とした、自社の「声」「顔」を考えることは
とても重要な要素だと思います。


このF1・BMWザウバーチームの行為は、同じレースを愛する者への
心根からの敬意の気持ちからだろうが、きちんとかたちにして示す、というところで
企業・組織としての志、理念=基軸となるものを感じとる。

見る者が、企業人格・品格として、言葉を越えて体感してしまうところに
(ぼくだけかもしれないが)
企業・組織としての奥行きの深さを感じる。
その声・顔を通して、相手の心の中にどんなイメージが描かれていくか
ということ。
これは、いわゆるブランド論にも通じる話だと思う。

Comment

よこはまわざものPronewser
ダース=トリオムーン@ミナロさん

まぁ金曜日の走行だけなんだろうけど。
フェラーリチームにピットインしてしまうとか。
リアウイングを電子表示化して、より多くの
スポンサー獲得に使えないか。
ダース=トリオムーン@ミナロ
ずっとシューの後ろにいたら
見せられないじゃん。

周回遅れなら、抜かれる時に見るか。
Comment post





 管理者にだけ表示