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04/23 : 日々の言霊。

言葉は、肉体の一部である。

日常のかたちにならないものが、人の一部をかたちづくっていく。
自らの日々の声に思慮し、言葉を選び、気をこめる。
頭脳明晰、簡潔明瞭とはいかずとも、なによりもていねいでありたい。
相手への想いが鏡面となり、自らの心の鎮めにつながる。

でありたいと思うのではあるが、気がつけば、放言や無駄口を重ねている。
いやはや。

声に思慮し、言葉を選び、気をこめる必要があるとき、
人は言われなくてもそうするのだろう。
どうでもいいことや、どうでもいい人の話に向かうとき、
同様ではなくてもいいとは思うけれど、一呼吸二呼吸置いた言葉の間。
やはり、ていねいで在るための自分に向かうという意味での
ちょっとした言葉づかい、言葉の表情への気遣いを。
つねにそう在れたらいいのだが。


63年ぶりに故郷の土を踏んだ旧陸軍兵士の言葉は、ロシア語に代わっていた。
異国の言葉が、気がつけば自らの体躯に日常として染み込んでいた。

日本人が、日本人のままに、日本語を失ったのか。
日本人が、日本語を失い、異国の地に同化していったのか。
そういうことではないのか、それはわからない。
帰国しなかったことには、
「答えたくない。ただ運命だった」と話したという。
63年分の想いと歴史が刻まれたひと言であるのか。


過去の戦争で、西欧の列強や日本など支配国となった者が、
支配される国の人々に自国語を強要する。
こうした場合の「自分の国の言葉を奪う=失う」ことには
どんな意図があるのだろうか。

その土地に暮らす人の文化を、生きる証を、独歩のモチベーションを奪う。
結果、支配国への従順。当たらずとも遠からずか。

一個の人間が、生きてきた足下から否定される。
言葉の強要は、心の問題でもある。
自国語をそうたやすくは忘れはしないだろうが、
生きる背景として、支えとして意識的に向かうことが大事なのだろう。


そうしてこうして、相変わらず明日からもなんだかんだと大切な、そしてたわいないことを、
言葉を選び選ばず言葉にして日々を重ねてはいくのだろうが、
言葉は、肉体の一部である。

日常の一時、戒めや勇め、鎮めの声として、
己の身体に発していけたらと思うのです。

Comment

横浜、わざ・ものニュース
すぎもと@ミナロさん

ずんと重いひと言ですね。
すぎもと@ミナロ
どんな思いで、63年間過ごしてきたのだろうと、自分なりに考えてみた。
きっとただただ生きるために…。
第一声が物語っているようでちょっと切なくなりました。
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