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03/16 : 「くやしい」の場にいる幸福。

「僕の野球人生で、最も屈辱的な日です」。

>試合後のイチローは感情を押し殺し、一つ一つの言葉を選んだ。
http://www.sanspo.com/sokuho/0316sokuho018.html

第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)「日本 vs 韓国」
残念でしたね。みんな、イチロー選手と同様に、心底くやしいでしょうね。
このやろう、こんちくしょうの100乗でしょうね。
残念だけど、試合中継や夕方のニュースでのそんな選手の姿を観ていて、
いいなぁって思いました。

スポーツ、とくにプロスポーツを観ていて、いつも思うことなのですが、
あの姿はただ負けたからではなく、プロと呼ばれ、その中で選ばれて戦い、
そして負けを味わうというレベルまで、自らを高めた人だけがもてる
「くやしい」なのでしょうね。

彼らは、たとえそれが願うことではなくても、心の底から本気でくやしいと
感じる場を、人生のくやしいに値する場面にたまたま遭遇したのではなく、
彼ら自身の人より秀でた腕と、腕を磨き続けることで手に入れたのだから。

自らの意思と行いあって、持つことのできた「くやしい」。
どこかのナンパ橋でおねぇちゃんを引っかけそこねて、くやしいと言っても、
そのくやしいとは違う。
人のことは言えないのだ。仕事だって、自分がどうナンパ橋と違うレベル、
想いでなにかをそこにこめてますか? って自問するわけさ。反省、ペコリ。


スポーツは、勝敗がわかりやすい。勝つ栄光と負ける哀れ。
勝敗をつけるために試合があり、勝ちにこだわるから、スポーツがスポーツ
として成り立っている。

「勝つ」ことを真剣にめざし、めざした者だけが
勝つことの周りにある挫折を含めて、なにをか得る。
なにが「勝つ」かは人それぞれだけど、
最後に、誰の人生でもない、「ああ、オレをよく生きた」って、
そういうことにもなるんじゃないのかなぁ。

スポーツのプロも、その他のプロも、職業としてみれば同じ。
「くやしい」を目的に仕事をするわけではないけれど、
向き合うときに、向き合えるときにそうしないと、
「心底くやしい」も、「心底うれしい」も、ほんきのきで味わえないのさ。
プラス、スポーツと違うところは、想う気持ちが失せない限り、“旬”は
その人間が決められるのさのさ。
と、プロスポーツに想い、反省も感じもするわけさ。


「よく闘った者が、よく戦後を生きられる」。

とは、確か沢木耕太郎さんの本の中にあった言葉。
なんの本かは忘れました。

いい表現は、普遍的。おでんみたいにしみます、しみます(by二郎さん)

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