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02/25 : 間に、「受」。

>自分の感受性くらい
>自分で守れ
>ばかものよ


先日、詩人の茨木のり子さんが他界されましたが、
http://www.sanspo.com/sokuho/0220sokuho010.html
そのことを知った、ばかものは、久しぶりに
「自分の感受性くらい」を蔵出ししてきました。


>ぱさぱさにかわいていく心を
>ひとのせいにはするな
>みずから水やりを怠っておいて

>難しくなってきたのを
>友人のせいにはするな
>しなやかさを失ったのはどちらなのか


あまりにも有名な?この詩の一字一句を綴るのは
さすがに気が引けるので、申し訳ないが人様のページを拝借してご紹介。
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/shigekawa/ibaragi.html


もうこの詩に出会ってから、どれだけの歳月が過ぎたかわかりませんが、
そのとき以来、「感性」という言葉を意識して使わなくなりました。
だからといって、とくにどうということはないのですが、
この言葉に違和感のようなものを覚えるようになりました。

才能や感覚の秀でた者を指したり、さりげなく自己表現をする場合に
おさまりのいい言葉のようですが、
平易な言葉で日常を衝く詩人のひと言に、感と性の間に入る
「受」の文字が、妙に染み入ったのでした。

日常を受けとめる、生きる力。
人としての在り様、育みどころ。

言葉が生きているのは、その人がほんとうに生きようとしているから。

一人の詩人は立ち去った。
言葉は、生き続けていく。

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