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07/30 : 一人の旅で在るから。

「旅は、一人に限る」

学生時代、旅の好きな友人が言っていたこと。
「なぜ?」と訊ねて、答えはとくべつ変わったものではありません。

でも、面白かったのは「一人旅」と、その場にいる何人かが聞いて、
そのイメージやもつ価値観が直感的に伝わる人と、そうでない人がいたこと。
もちろん、良し悪しではなく、感じ方やとらえ方が「一人」「旅」を
フィルターにして表れやすいのだろうということです。

「旅は、その土地の人と時間にふれに行くことでもあると思っている。
知らない土地、知らない人に会いに行き、そこでなにを感じたか、が
旅の目的なので、それが最大限に生かされるやり方が一人旅」

というのが、友人の旅感でした。
その土地に出かけて、道一本訊ねるところから機会をつくり、
(誰かに訊くしかない、も旅を楽しむ要素となる)
町のことやお互いの生活の違いなどを語り合う。
入った飲食店や酒場で、店の主人や隣り合わせの人と話す。

ちょっとした暮らしのすき間のひとときかもしれないけれど、
一人でそこに足を運んで、話しかけて、会話が生まれ、
さっきまで知らない同士が、知らない町や暮らしのことを話し、楽しむ。

「気の会う友人、仲間で行けば、移動機関からその土地でと、旅の間中、
身内同士でばかり話をし、気持ちが外でなく内を向いてしまう。
段取りに縛られた時間の過ごし方になる。。
そういうことって多いだろう。悪いとはいわないが、
それを『旅』とは言わないと思う。
せっかく、ふだん行き慣れない土地を選んで、なぜ、そこに出かけるのか?
その想いを大切にしたい」

あくまでも一個人の「旅」の在り方ではあるが、若い時から
人や時間の過ごし方に志向をもつ友人に共感もしたものでした。
そして今、私生活や仕事、その辺の町の散歩でも、日常に「旅の想い」を
育むことができるのではないか。そんなことも思うのです。

家族だろうが、組織だろうが、人は一人から。
一人であることを強く自覚するから、違う誰かに関心をもち、機会をもち、
行き交う時間をつくろうとする。一人であることへの対峙は、つねに必要なのだろう。

ん、話がひろがってきたかな。
友人は、地方でずっと子どもたちが楽しめるようなバンド活動をしている。
子どもたちのためというより、自分が楽しいから、以前に言っていたけど。
自分なりの方法で、人と人との接点を楽しむ人は魅力的だ。
笑顔もいいねぇ。

Comment

よこはま、わざものニュース
すたそるさん こんにちは。

>かつて3ヶ月NZのクライストチャーチにホームステイ
おお、他人の、しかも異国の人の家に長期滞在するというのは、どんなものですか?
こちらが、進んでコミュニケーションしようという気持ちこそが大切なのでしょうね。

>呑んだくれて歩いている人なんて見たことなかったなぁw
スポーツ立国、環境立国?には、無縁なのかな。
すたそる
> ニューランドが大好きで

おぉ!かつて3ヶ月NZのクライストチャーチにホームステイしました。
北島から南島まであちこちバックパッカーしたなぁ。
良い想い出ばかり。。
日本びいきだから「焼き鳥屋」は面白いけど、ただ、呑んだくれて歩いている人なんて見たことなかったなぁw
よこはま、わざものニュース
すたそるさん こんにちは。

>まさに出会いは奇跡!

シンクロニシティ。一期一会。
そう思うことで、人や日々に対する気持ちがていねいになる。
じぶんに語りかける言葉や視点は忘れないでいたいですね。
そうか、1秒一人で、190年かかるんだ。

人に旅、人が旅。
ですね。

>また一人旅したいなぁ。。

すたそるさんは、一人旅で世界を周ったのでしたね。
さまざまな人や場の空気と出会い、体感。
若いときに出会うN・Yと、年老いて行くそことは違う。
と言いますが、旅せよ青年、ですね。

ニューランドが大好きで、NZに焼き鳥屋を出すのが夢で、仕事の途中で
20年前に他界したプログラマーの知人をなんとなく想い出しました。
すたそる
1秒に一人出会えたとして、世界60億人に出会うには190年かかります。
まさに出会いは奇跡!
旅はその奇跡の幅を少しでも広げようとする気持ちだったりします。
まぁ、最近は交流会などで色んな人に出会うのがせいぜいで、これはこれで、旅で出会う奇跡とは次元が違うんですよね。

また一人旅したいなぁ。。
よこはま、わざものニュース
D.-Laboさん こんにちは。

人それぞれの、旅の終着点。
なにを定義し、たどり着くための、歩む道も風景も違うのでしょうが、
歩き続けるその先に、どんな立ち位置、居場所を求めるのか。

大きくも小さくも、未だ見えぬ道があるのなら、
じぶんに問い、答え、惑い、また問う過程に、旅の真髄があるのかもしれない。
旅の価値も、長さも、じぶんが決めればいいのでしょう。

己の足で歩んだその先々で出会うなにかに、頼るというより、ゆだねる。
そんなことはあるのかもしれません。
D.-Labo
旅の終着点が他人に依存しているものであれば
その旅は意味のあるものであろうか?

ミスタイプ多すぎです。
前記事削除希望いたします。
ダース=トリオムーン@ミナロ
次の記事見たいじゃん。

「ホリー ゴライトリー」

は『ティファニーで朝食を』の主人公の女性の名前。



「トラベリング」は彼女のネームカードに書いてある

肩書き(?)

映画には出てくるのかな?小説で読んだだけで
ちゃんと映画を観ていないので。判りません。


>今度、カラオケで拓郎70年代づくめでいこか。

70年代は幼気な子供だったので「大人の歌」は
判りませ~ん。
よこはま、わざものニュース
ダース=トリオムーン@ミナロさん

>ホリー ゴライトリー トラベリング

さぁ、わからんなぁ…
大好きな「マスター・キートン」のひとコマに引用されているらしいけど。

夢彷徨う人の、居場所。
追っている、のとは、また違うような気がします。
たどり着かないから、「旅」なのだろうね。

引っ張り出してきたアルバムやら、想い出した映画と挿入歌がある。
拓郎さんの「人間なんて」「元気です」の「たどりついたらいつも雨降り」「どうしてこんなに悲しいんだろう」「まにあうかもしれない」。
栗田ひろみ主演の「放課後」。地方の映画館の暗がりで聴いた「夢の中へ」「いつのまにか少女は」。

たどりついたらいつも雨降り そんなことの繰り返し♪
まにあうかもしれない 今なら  まにあうかもしれない 今すぐ♪
探すのをやめたとき 見つかるのもよくある話で♪

その気分にあこがれて、気づいてみるとずっと引きずっている、のだろうなぁ。
実はずっと前から、こうした歌は歌の世界の憧憬としてで、実生活はそうではないと思い込ませているのだが、
ドライバーが視点方向にステアリングを切る習性があるように…なんて引力は。
でも、いやさ。俗っぽく現実のお金儲けに走ってやるぜ、オジサンは。

居場所つながりで、「パリ テキサス」「ラウンドミッドナイト」「フィールド オブ ドリームス」「深夜特急」「街角の煙草屋までの旅」だの、ついでにフラワートラベリングバンド(駄洒落ん想)まで、思い浮かべたよ。

あ~あ、今日は仕事はやめようかいな。愛のスカイラインでブレ&バタと一緒にどこかに「旅立て、ジャック」。
今度、カラオケで拓郎70年代づくめでいこか。
とまらん、どうする、おれ。誰のせいだ、あんたのせいだ。
ダース=トリオムーン@ミナロ
漂って居るんだよね。
何処にいても。今現在もさ。

それが私の旅。


<ホリー ゴライトリー トラベリング>…

判るかな?
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